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社員インタビュー

CEO

【創業ストーリー】自分が欲しいと思うものを徹底的に作り上げる

佐渡島隆平

1979年生まれ 1999年Daigakunote.com創業(CEO) 2002年ソネット株式会社入社 2010年モーションポートレート株式会社入社(CMO) 2014年セーフィー株式会社創業

なぜ創業しようと考えたのですか?

もともと創業メンバーの3人は、ソニー木原研究所からスピンアウトしたモーションポートレート(以下MP)という、画像処理技術に特化したベンチャーにいました。
私はマーケティング担当(CMO)、森本と下崎はエンジニアとしてです。

MPでは機械学習で精度を高めた顔認証技術を、アプリ、ゲーム、コスメシミュレーター、Webキャンペーンなどに使うモーフィングエンジンとして提供しておりました。顔写真をアップするとゾンビになるというスマートフォンアプリが全世界で5000万DLされた経験もあります。

ヒットアプリを生み出す一方、ビジネスモデルは顔認識技術の応用にとどまるため、顧客課題の解決より技術応用が前提となってしまうことが多く、市場の広がりに限界も感じていたんです。

その頃、自宅を建てたときに監視カメラをつけてみようと考えてみたものの、最適なサービスが見つからないことがひっかかりました。

・誰に購入相談したらよいかわからない。
・警備会社などへ見積もりをとると予想外に高い。
・サービス、技術スペックが驚くほど低い。
・セキュリティーに対してケアされていない。
・ユーザーフレンドリーなソフトウェアサービス設計でなく、手軽に使えない。

ざっと考えても上記のような5つの課題がありました。それなりにデジタルリテラシーが高い私でも見つからないということは、世の中のあらゆる人も同じ想いをもっているのでは?と思ったのです。

そこで、たまたま後ろの席に座っていたコンピュータサイエンスに強い下崎、プロダクト開発に強い森本に「クラウド直結の賢くなるカメラサービスを作ってみない?」と声をかけスタートしました。

初めから画像処理技術に特化したトップクラスの優秀なエンジニアが多数在籍している環境、適切なデータ、ユーザーニーズが集まるサービスをつくりたいと思っておりました。
ディープラーニングはじめとした機械学習技術と、適切なデータと、ユーザーの集まるプラットフォームがあれば、無数にアイデアが生まれるとMPにいる時から肌で感じていたからです。

企画からどのように製品化までたどり着いたのですか?

まずは自分が欲しいと思うものを徹底的に追求し、誰もが使えるプロダクトとして、市場に出しながら変えていこうと考えました。

まずカメラがないことには始まらない。ソニーのカメラ、レコーダー、監視カメラの部門へ相談に行きました。しかしゼロから企画するとなると、プロダクトのロードマップが先まで決まっているため数年はかかるとわかり、諦めました。

色んなところに出かけて話をしながら、オフィスではGO PROのような流行りのカメラをいくつか分解して部品を調べていました。そうすると、ネットに接続するクラウドカメラにはAmbarellaのシステムLSI(集積回路)が最適だとわかったのです。そこでAmbarellaに連絡しクラウドカメラの構想を持ちかけました。そこで、カメラメーカーのエルモ社を紹介してもらいました。

なぜカメラメーカー側ではなく、チップベンダーに話を?

まだ世に無いサービス構想はカメラメーカーにいきなり話をもちかけても開発や経営層へのアプローチが難しいのです。チップベンダー側の提案という形でメーカーを紹介してもらったら、クラウドカメラに興味があるメーカーの開発責任者や経営層にダイレクトでアクセスできると考えました。

ちょうどAmbarellaにとっても、クラウド側のソフトウェアを開発できる会社を探していたとのことで、これはとても良い出会いでした。森本がたまたまソニーにいた頃にテレビのチップ選定委員をやっており、Ambarellaの担当責任者と顔見知りだったという偶然にも後押しされたと思います。

こうして、自分たちでカメラを製造せずに、カメラへの組込ソフトウェアをOSとして提供する。カメラメーカーと協業するモデルの実現に至りました。

カメラを作らず、ソフトウェアモジュールをメーカに頒布。プラットフォーム型の設計は、どのような理由から?

ソニーという巨大メーカーにいた経験から、ハードウェアで競争をするのは賢明ではないと思っていました。3人の極小ベンチャーがゼロからカメラのハードウェアを製造しても、性能やデザイン性で大手メーカーとは戦えないと思ったからです。

一方で、これからのIoT時代では、カメラのようなプロダクトもサービス化していくものだと考えました。ハードウェアも組み込みのLinuxベースが主流となっており、組み込みソフトもアップデートすることが前提のアプリになっていく。そう考えて、メーカー側にSafie Software Module(セーフィーソフトウェアモジュール)をカメラのOSとして無償頒布することで、簡単に有償のクラウドサービスと直結できるような形にしました。これによって、カメラメーカー側は、「モノ売りからの脱却」が解決できるのではないかと。

セーフィーからすると、ハードウェアの開発や投資をしなくとも大手メーカーの信頼あるカメラをベースにユーザーとデータを集められます。

これは、顧客視点からみても割に合っています。ネットワークに繋ぐだけ。簡単シンプルカメラだけ、個人でも法人でも、スマホでもWebでも使いやすく、月額1,200円からセキュリティの高いカメラを利用できる。まさに三方よしなビジネスモデルだと考えました。

3人で形にしたこのアイデアですが、それぞれタイプやスキルが違うことがとても良かったと感じています。

私はSo-netでネットサービスのプロデュースをやっていました。
下崎はソニー木原研究所でコンピューターサイエンスを軸に、画像処理・ソフトウェアモジュールの開発に携わっていました。
森本は、ソニーのテレビ事業部からグーグル本社に出向した経験から、メディア・プロダクト・サーバーソフトウェアの開発経験があります。
それぞれ得意な領域が違います。

今思えば、役割も性格もそれぞれ違う3人での共同創業は、理想のかたちだったと思います。性格や考え方は全く違いますが、目的は一致しており、議論はあれど最終的にはバランスよくまとまります。

全員字が汚くてメモもとれない。人の話を聞いていないので、誰が何を言ったかも忘れてしまう。やるべき事への結果にしか関心がないので、ケンカにもならないのです。(笑)

3人とも、ソニーが絶頂期から転落していく真っ只中の2002年前後に社会人となりました。日本がソフトウェアプラットフォームをWindows、アンドロイドと他社依存し、次々と後塵を拝し苦境に陥っていったタイミングです。

3人とも、それぞれとても悔しい思いをしてきた体験から、日本発のソフトウェアプラットフォームをつくりたいという共通の信念があるのです。

クラウドカメラは映像データの容量が重いと思うのですが、通信面の課題はどうクリアしたのでしょうか?

カメラをクラウドに常時接続して動画データを送り続けるアイデアは、実は一か八かの非常識なアイデアだったのです。

当時は違法P2Pサービスなどで帯域を占有するとISPに帯域を絞られる規約が当たり前でした。ISPの幹部からも「常時接続で動画で帯域を占有するといった非常識なことをすると、いつか止められるのでやめておいた方がいい。」とアドバイスをもらっていたのです。

しかし、Youtubeのような動画視聴サービスを例にすると、動画を視聴する人はたくさんいてもアップする人はほとんどいない。下り回線は常に使い続けられても上り回線はガラ空きだから、ISPも止めるわけには行かないだろう。という仮説を持っていました。

実際のところは、各社のISPの規約上ゲートウェイで特定IPの通信を止めれるようになっていたので、ヒヤヒヤしてはいたのですが…。

その後、アルテリアネットワークス、KDDI、NTTが協業サービスをはじめ、ISPの全国設備帯域の調査が始まり、上り回線の帯域使用は問題ないと証明されていきました。
実はLTE通信を活用したSafie GO(セーフィーゴー)も常識外のパケット量をつかうため、最初はいつ止められてもおかしくない中で、しかし確信を持ってスタートしたのです。

それと、セーフィーにはB2C向けにライブ映像を無料で視聴できるプランがあります。プロモーションと割り切った価格設計でしたが、実際は映像サービスなのでコスト負担が大きく、なかなか他社が真似できるものではなかったと思います。これも、動画ベースのクラウドカメラサービスの競争が生まれにくかったポイントだと思います。

ユーザー志向をブレずに追い求め、技術的な観点で設計し、大きくビジネスの舵を切れたことはベンチャーならではだと思います。スケーラブルなプロダクトを生み出す上では、一見非常識なアイデアがとても大切なことだと振り返って実感しました。

なぜ、ソニーグループから独立して起業したのですか?

様々なメーカーへSafie Software Module(セーフィーソフトウェアモジュール)を頒布する、オープンなプラットフォーム戦略を推進するためには、メーカーの子会社という立場ではやり切れないと考えました。カメラのハードウェア製造というより、ネットビジネスに近い領域のため、スピード重視で実行しなければならない点も理由のひとつです。

競合にもなりうる領域で、独立していくにも関わらず出資する。ソニーは器の大きな会社だと思います。
So-netの経営管理のみなさんはじめ、現ソニーCFO の十時さんからも、退職しても、覚悟を決めてやるなら応援すると後押しいただき、私たちの独立を快く送り出してくれました。

資金提供だけでなく、経理や法務に困ったときは各担当の方が親身になって相談に乗ってくださいました。特許や銀行回り、経理のイロハを教えてくださり、自立の支援をしていただきました。資金的に苦しい時期には、当社の社債まで買ってくださり、心強い後ろ盾になっていただきました。

最終的に、ローンチ時にソニー以外のカメラメーカーと組むとなった時も、ソニーの皆さんがPRチームを立ち上げ、社内の会議室を貸してくださいました。当日は取締役が自ら出て一緒にプロモーションしてくださいました。

https://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/684516.html

 

またベンチャーであるということで、LTE通信回線の仕入れができなくて困った時、ソニーの法人営業のみなさんが、私たちに変わって通信回線を仕入れてくださいました。これは現在私たちが提供しているLTEルーター内蔵型のサービスSafie GOへと繋がっています。

https://bouhancamera-choice.com/safie_go/

 

その後、9.7億円の資金調達を実施し、ソニーグループの競合ともなり得る電機メーカーと組む時も、思い切った事業をやるべきだと背中を押していただきました。

https://article.safie.link/blog/919/

 

苦しい時に支えてくれたソニーグループのみなさんには本当に感謝しており、私たち自身がこれから大きく成長することが最大の恩返しだと思っています。

創業後にはどんな困難がありましたか。

創業3年間は休む間もなく、毎日ジェットコースターに乗っているようでした。

「リリースしたクラウドカメラがWi-Fiに繋がりにくい」というハードウェア的な課題にぶつかったときは、生きた心地がしませんでした…。この頃はサポートに駆けずり回っておりました。

その後はB2CからB2Bへ舵を切った時には、実績もない会社の製品が売れるわけもなく、資金が2度ショートしかけて銀行や株主などに借金させてもらいました。なんとか乗り切って大型の資金調達に繋げていきましたが、こちらも苦しかったです。当然サラリーマン時代には資金調達という概念がなく、銀行や株主との付き合い方のイロハがわからなかったため、ずいぶん苦労しました。

それでも顧客満足度をあげる。売上をあげることが一番の資金調達だと思い、エンジニアも総出でひたすらサポートや営業をし続けていました。そうやっているうちに、徐々にサービスが認知され始め、お客さんやパートナー会社も増えていったと思います。

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